明鏡止水

私は最も良い私になりたい

2018年 総括

 

 

◎仕事

 

仕事は楽しい。ミスが無ければより楽しい。

 

医療現場において「ミス」というのは患者、すなわち一人の人間を文字通り「傷付ける」という意味で、精神に多大な負担がかかる。

 

今年はミスを減らすことが目標だったけど減ったかどうかでいうとよくわからない、結構やらかした一年。来年も同じ目標を立てる。

 

 

◎恋愛

 

著変無し。去年の今頃よりは数倍穏やかな心持ちなのでは。来年の目標も特に無し(先程の項目に対して随分と淡々としている印象だろうけど、これは私の精神が安定している証拠です)。

 

 

◎金銭面

 

問題無し。ゆるやかな目標を立てゆるやかに達成し続けている。もうすぐ2年目。

たださっき書類整理中、リゼのローンが頭から抜けてることに気付いてびっくりした。ここ数ヶ月、月17500円引かれてるという事実を忘れてお金の計算をしていた。最近そういうのある。来月から気をつけます。

 

 

◎美容とか

 

今年、何も手を出してないのでは?いやいやそんなはずは?と思って、今懸命に考えてみている。終わらせたタスクって忘れるよな。

 

親不知を抜いた。整体に通い始めた。皮膚科に行ったのも今年?あとは眉毛の脱毛を始めた。服とカバンと化粧品と下着を買った。マツエクは面倒になって辞めてしまった。パーマは2週間前にかけたけど落ちてきた。

 

今週歯医者から、定期受診の時期です、みたいなメール来てたな。ついでに歯列矯正かホワイトニングがしたいね。あとは靴が無いので買いたい。でも一番はジムに通いたい。

 

 

◎その他

 

独身でいるうちに友達と旅行に行けて良かった。来年もそういうのやっていこう。まあでも意外ともう、思い残すところは無いかもしれんな。

 

 

◎ 総括

 

来年の全体目標、これだと思うものを午前中思いついていたのに、当たり前のように忘れている。概念的な何かを立てたはずだったんだけど。

 

部屋掃除をしたら、アパレルの紙袋1つ分くらいはゴミが出た。わりかし綺麗にしてるつもりだったんだけどやっぱ人って生きてるだけでゴミ出すんだね。

 

年々、自分の身体と精神の乖離を感じている。それと共に、自分に正直に生きなければという陳腐な焦りも感じる。因みにこれは精神に正直に、ではなく身体に正直に、という意味です。

私は多少抗うくらいの感じで扱わないと幸せになれなさそうな、クソ精神を所有しており、またこの精神は自我が強くやばい時にはやばいと言ってくれるので、基本は放っておいてもいいんですけど、身体が全然そういうの、言ってくれないことに気付き始めている。

 

 

2018年中に間に合わせるつもりが、年を越してしまった。昨年もお世話になりました。今年も宜しくお願いします。

 

出来れば子を産みたい

 

 

最近、私の中で、「人は全員死ぬ」という事実の受け止め方が変わってきたのね。

 

ようやくその事実を理解出来てきた、のか、はたまた理解出来なくなってきた、のか、その辺りのニュアンスはよくわからないんだけど。

 

毎日のように会っていた患者さんが死ぬ度に、物語の中の登場人物が死ぬ度に、「わ、やっぱり人って死ぬんだな」って思うのね。推しが今日も最高の状態で生きている、と実感する時、でさえも、「この人もいつか死ぬんだな」って考えるのね。

 

前よりヤケに、すぐ、安直に、そのことを考えてしまうというか、思考の内側において、その事実が近くにある状態。

 

 

これを前提として、話すんだけど、

そう、本題はここからなんだけど、

 

 

「私って死ぬんだな」と、昨日映画を観ながら考えていて。で、一緒に観に行った人もまた同様にいつか死ぬわけね、それを考えていて。

 

そうやって皆が老いて死んでしまう中で、子孫を残して死ぬことの、なんと安心することか、と思ったわけですね。

 

そうなってくると、子供って、本当に只々、親のエゴを理由に生まれてきてんだな、って気付いてしまって。めちゃくちゃびっくりしてしまったんですね。今更なんですけど。

 

「産めって頼んだ覚えねーよ」とか、反抗期の息子の常套句だけど、いや本当そうだよなみたいな、あの時期の思考ってヤケに論理的というか、暴論であると同時に正論ではあったりとか、ね、話逸れそう、

 

いや23歳にもなって、だから私は親に感謝するつもりはない、とか、生まれてきたくなかったのに、とか、そういう話がしたいわけではないよ。

 

私は出来れば(※1)子供を産みたいんだけど、それが自分のエゴであるということを忘れてはいけないなと思ったんですよね。

 

自分が死ぬのが怖いから、自分は死んでないということにするために、子孫を遺すわけよ。まあ少なくともこれは今の私にとっての話であって、本当に産まれたらどんな気待ちになるかわからんけど。

 

そんな生命体が「お母さん産んでくれてありがとう」とか言ってくることがもしあっても、「いやいやこちらこそすまんね、ありがとう」と思い続けなければいけないなと思ったっていう、そういう話でした。以上です。

 

 

 

 

(※1…今のところ私の人生は未来の展望が悉く壊れていっているので、さもそれが叶うのが当然かのように未来を想像することは、そのルートを壊すことに繋がりそうで嫌なんですね。子供を産みたいと断言してしまうと出産する前に呆気なく死んだりしそうなので、「出来れば」と付けました。謂わばジンクス避けですね。)

鬱的

 

 

げっ、前の記事2月 ついて行けね〜

 

 

最近、この最近ってのもここ数日程度のことと私は捉えてるけど多分実際はここ数ヶ月、すごく怠惰な鬱々とした気持ちがあってですね

 

何が問題かってその、当該の気持ちが生ずる理由やそれに伴う解決策がわからないんだよね

 

ストレス発散法ってあるじゃん、人それぞれ、私も御多分に洩れず自らのストレスを解消・発散する方法を知っていた筈なんだけど、最近どんな方法で発散しようとしても上手くいかないんだよね

 

例えば美味しいものを食べる、好きな人達と遊ぶ、身体がむず痒くなる位まで寝る、規則正しく過ごして自己満足を得る、自分の家のベッド以外の場所で寝る、奮発する、TODOリストをこなす、彼氏と遊ぶ、旅行する、歌を歌う、ひとりでドライブをする、等々

 

何やってもスッキリしないんですよね、こんなことってある?

 

なんていうか最大HPが失われていく感覚を覚えることもよくあるんだけど、それとはまた違って、どちらかというとMP、そう、最大MPが失われていく感覚がある、回復魔法が全く機能してないんですよね、

 

私って今後一生現在のレベルのストレス負荷がかかった状態以上からは這い上がれないのかしら、人生つれえな〜

母親の人生について

 

「あたしおかあさんだから」の歌詞が話題になっていたから、ふと母親のことを考えてしまった、んだけど、私はあんまり、母親のことを考えるのが好きじゃない。

 

14ってタイトルの記事でも書いたけど私の人生って結構滅茶苦茶なんですよねでも一番滅茶苦茶なのは誰の人生か?って

 

思うと

 

母親の人生だろうな

 

と思って

しまうので、あまりそういうことに思考を向けたくないんですよね。なんだかすごくすごく、色々なものが、重たくなってしまうので。

 

今朝はそれでも色々と考えてしまっていて、

 

思い出すのはまあ大抵13、14歳の頃のことなんだけど、

 

鮮明な記憶、

わ、もう10年も前になるんですね、

 

鮮明な、いつも浮かぶ記憶、

 

中学校の帰りに寄った祖母の家の2階、ショックで口が殆どきけなくなってしまった、なんというかもうぐじゅぐじゅの母親(今思うとあれは絶対自律神経失調症)、の口から微かに聞こえた「おかえり」、とか、

 

全てが壊れた私の家、に居る父親、の背中、と、「ごめんな」、とか、

 

を、想起してしまっていたんだけど。

 

それって結局客観的な、もので、

客観的な「凄まじさ」を目の当たりにしてしまって、いやいや、自分の身に起こったことなのは分かってるんだよ、だけど、

客観的な、出来事なんですよそれって、

 

とうの私は、

 

毎日学校に行っていた、一回も休まなかった、授業中、慕っていた社会科の先生、に「大丈夫?」って言われることが1回あったくらいで殆ど、外傷みたいなものは無かった、多分あんまり実感とか、なくて、母親の状態も悪いし、なんかこう、正常で居なきゃみたいな気持ちが働いていて尚且つそれがちゃんとある程度作用していたんだよね、

 

じゃあその3人の中で

 

誰の世界が一番真っ暗闇だったかって

 

そりゃやっぱり母親だろうし

 

そしてあのときの母親にとって私の存在っていうのは本当に、真っ暗闇の中で、唯一の光だったんだろうなってことも自覚しているし

 

 

ちょっと職場着いちゃったよ、続きはまた書くけど、

 

とにもかくにも、

 

 

だから私は母親のことを考えるのが怖くて、苦手です。

 

 

「有安杏果」の話

 

 

有安杏果は「ファンの為に」という意識がすごく強い人間で、だから私は安心(怠慢)していて、変な言い方だけど私達が有安杏果を忘れても有安杏果は私達を忘れないとずっと思っていて、

でも有安杏果にはきっと色々な悩みがあって、例えばももクロの中での立ち位置がわからないとか 価値観の相違とか バンドなら一瞬で解散してるようなそういうほんと致命的な 本質的な 悩みがあって、そういうの全部「ファンの為」にずっと解決出来ずに生きてきていた、

有安杏果の大学進学やソロアルバムの発売は、有安杏果ももクロを続けながら自分を保ち続ける方法の「模索」であり、私達ファンへの「SOS」だった

 

有安杏果は気付いていないかもしれないけど、有安杏果を救ったのも苦しめたのも私達で、だからお願いだからこれから幸せになってほしい 今まで幸せにしてくれてありがとう ごめんね ありがとう

 

が好きなんだけど寒さへの適応が出来なくて活動量が低下する 暑さにやられているはずの夏でも活動レベルは60〜70くらいあって、対して冬の活動レベルはといえば最早ゼロ

 

昔の私はそんな自分が嫌いでイライラ、いらいら苛々、イライラいらいら苛々イライラしてたんだけど 多分これって「宿題やテスト勉強が終わらない」とか「受験日が近づいているのに勉強が出来ていない」とかそういう類の 切羽詰ってるが故の苛々だったわけです

 

社会人になってしまった私には、私の自由時間を自由時間たらしめることを阻害する存在が居ないので 冬になり毎年のように活動レベルがゼロになっていく自分自身を 毎年とは違って緩やかに愛していたんだけど 突如母親に「絶対結婚出来ないよね」と言われてしまってさ

 

いやわかるよわかる 私もさ 街にすっぴん+マスクで行くような自分を何の疑いもなく愛することは流石に少し難しいというか 22年間付き合ってきたけどこの先ずっとこの人を愛し続けて本当に私幸せになれるんだろうかみたいな気持ちが湧き上がってくるというか わかるよ わかるんだけども 結婚に向いてないのも勿論知ってるんだけど

 

突如放たれた母親の一言によって私と私の許し許され愛し愛される甘い甘い冬の物語は終わりを告げて私は現実を見るわけです

 

もういっそ殺してくれ

 

 

14

常に勝手に悪い想像をして、勝手に落胆している気がする

 

いや、そうやって常に最悪なケースを想定して生きる方が現実から受けるダメージを軽減出来ると中学の頃考えて、わざと癖付けたのは覚えてるから、それはいいんだけど

 

多分歳をとったんじゃないかと思うんですよね まあ最近の私は理由がわからないことを全て「歳のせい」にしている節があるんだけど

 

自分が想定した最悪なケースに耐えられなくなってきているというか 現実に耐えるために最悪なケースを想定して準備をしているはずが 準備をすること自体が何よりの苦痛になってきている

 

14の時は親が離婚するかしないかの瀬戸際で 私の態度次第では離婚しなくて済む可能性が残っていた気もするんだけど 私は 最終的には離婚するんだろうな捨てられるんだろうなと 先に希望を捨てることによって自らの意見を断つことが出来たんですよ

 

そのおかげで「私は二人が最善だと思う答えに従うから、どっちでも大丈夫」などと発言する可愛げのない14歳になれました

 

そこからその癖がついたけれど結局17の時に父親が死んで大ダメージを受けました いや正直父親が死ぬというケースだってちゃんと想像してたんだけど 私が結婚するまでは大丈夫だと思っていた

 

今は母親のことを考えて父親との接触は控えよう、でもそんな関係のままではきっと父親が死んだ時私は後悔してしまうから婚約者が出来たら必ず紹介しよう、そこまでは辛抱しようと思ってたら私が結婚する資格を得る年齢になるのを待たずしてあっけなく死にました ウケる

 

結局ね 想像なんて無駄なんですよ 想像してないときに限って急に色々起こるもんなんですよ

 

だから普通に最悪な世の中で居てくれた方が幾分かマシ 他人のわけわからん思考に単純に振り回される方がマシ

 

それで だからもう最悪なことばっかり考えるのやめたいんだけど 10年前の私がしっかりと癖付けてしまっているので直らないんですよね 昔の私に苦しめられる感じすごいね 宛ら治らない自傷跡ですね ダサすぎる〜〜〜〜